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「教育・学び」についての日記 日記

勉強手帖vol.2  食育とは何か?子どもの心と食卓、地域のつながりを考える|『世界の学校・食育の歴史』を読んで

食・農・マインドフルネス。私にとっての3つの軸について、毎日少しずつ学びを重ねています。今日は、新村洋史さんの『世界の学校・食育の歴史』を読みました。食と人格形成の関係について考えることから始まり、読み進めるうちに、子どもの心と身体、学校教育、家庭、地域、そして社会のあり方へと、考えが広がっていきました。食べものが身体の発達に与える影響だけではなく、食べるという行為が、子どもの心や人との関係、さらには人間としての土台にどのように関わっているのか。とても興味深く読みました。

食と性格・人格形成の関係

食べものが子どもの身体的、精神的な発達に及ぼす影響についての関心は、1970年代から80年代にかけて強く向けられるようになり、2000年代にはOECD(経済協力開発機構)による国際的な調査も発展してきたことが、本書では紹介されていました。

日本でも、文部科学省、厚生労働省、農林水産省など、それぞれの立場から食についての調査や取り組みが行われてきたそうです。

本書では、「食育」についてこのように書かれています。

「食育」とは、子どもたちにとっては、自分の身に入れるものへの関心をもち、農業等や栄養についての認識や理解を深め、家族や学級の他者とともに楽しく食事ができる自然な振舞や生命あるものを感謝していただく習慣、そして、それをとおして人間として自立していくことです。

とりわけて重要なことは、食の仕事(学校園での野菜作りや給食の配食など)の「共同」(協働すること)をとおして、「協同する」(心を通じあう)ことです。

――新村洋史『世界の学校・食育の歴史』p.15

食育とは、単に栄養についての知識や食事を選ぶ力を身につけることではないのだと改めて感じました。食べものを育てたり、誰かと一緒に料理をしたり、誰かと一緒に食卓を囲んだり。具体的な人との関わりや、命との関わりを通して、人間としての土台を育てていくことこそが食育なのだと学びになりました。

心も満たす食事のあり方

本の中では、子どもたちが給食について書いた作文も紹介されていました。子どもたち自身の言葉で、食事を通して感じ取ったことが背伸びすることなく綴られており、読んでいてとても心が温かくなりました。

印象的だったのは、子どもたちが給食の時間から、食べものの栄養だけではなく、情緒的な体験や感覚をしっかりと受け取っていたことです。誰かが食材を育て、誰かが調理し、「食事」として食卓に上がったものを、誰かと一緒にいただく。その時間について書かれた子どもたちの言葉からは、食事が温かな記憶として残っていることが伝わってきました。

食事から得られるものは、短期的な能力や成果として、わかりやすい数字に表れるものばかりではありませんが、文字通り血となり肉となり、心や身体の奥底に積み重なっていくものがあるのだと感じられました。長い時間をかけて積み重ねられ身につけていく経験や時間は、簡単には崩れることのない人の土台をつくっていくのではないでしょうか。

朝食と「学び」の関係

2000年代に入ると、OECDのPISAや文部科学省の調査などでも、食事と子どもの学びとの関係が調べられるようになりました。本の中では、文部科学省の2002年「基礎学力調査」が紹介されています。朝食をとる子どもと、とっていない子どもとの間で、国語や算数などのテストの正答率に差がみられたというものです。

たとえば、小学校6年生では、朝食をとっている子どもの国語の平均点が65.6点、算数が68.1点だったのに対し、朝食を全くとっていない子どもでは、国語45.3点、算数51.6点。中学校3年生でも、朝食をとっている生徒のほうが、国語、数学、英語のいずれも高い結果になっています。こうした数字を見ると、朝食と学力との間には何らかの関係があるように見え、とても興味深い結果です。

とはいえ、私はこうした調査結果から「学力が高いことが良い」ことを前提として、「朝食を食べれば学力が上がる」と、すぐに結論づけることには慎重でありたいと感じました。

「朝食をとる」ということは、単に「朝食を食べる習慣がある」ということだけを意味しているわけではないと思うからです。朝食を食べられる時間がある、食材を用意することができる、誰かが食事を用意してくれる、安心して朝を迎えられる…など、さまざまな環境とも関係しているはずです。加えて、学力などの数字に表れなくても、子どもたちが日々培っている力や、育んでいるものはたくさんあります。だからこそ、数字は数字として受け止めながら、その背景にある生活や社会にも目を向けたいと感じました。

そのうえで改めて考えてみると、この調査結果から得た私の理解は、朝食をとると子どもたちが学びや活動をする力を発揮しやすくできるのかもしれない、子どもたちの日々の活動が数字や形として表れやすくなるのかもしれない、ということです。

人は本来的に、成長し、自分の可能性を実現しようとする傾向を持っています。朝食をとることが、一日の活動の土台をつくっているのだとしたら、「朝ごはんを食べましょう」と伝えるだけではなく、どうしたら子どもたちが朝ごはんを食べて一日を始められるのか。朝ごはんを食べられない背景には、何があるのか。についても深く考え、ひとりひとりの生まれながらに持つ欲求や力が発揮される環境づくりについて考えていきたいと思いました。

これは、本書で新村洋史さんが、

この調査については、「生活習慣」がどのようにしてつくられたかなど、児童生徒等が置かれている社会・文化構造にまで立ち入って検討されなければ不十分であると思います。国民や児童生徒の「心がけ」だけでは根本的解決には至らないものであると考察します。

――p.26

と述べていることにも通じることだと考えています。個人の「心がけ」だけではなく、その人が置かれている環境や社会の構造を見る。この視点は、生活に根差した食について考えるとき、とても大切なのだと思います。

「ちゃんとした食事」をめぐって

本書では、朝食と心身の健康度の関係についても紹介されています。食事内容をいくつかのカテゴリーに分け、一汁三菜のような食事とトースト一枚のような食事などを比較して、心身の状態との関係を調べたものです。この調査では、トースト一枚の朝食をとる子どものほうが、いらいらしやすい結果にあったそうです。

また、同時期に行われた「青少年の非行と食生活の関係」という報告書についても紹介されており、補導された子どもたちの食生活には、朝食を抜く傾向や、野菜や魚を食べる機会が少ないこと、家族と食卓を囲む機会が少ないことなどが傾向として報告されていました。

こうした結果からも、食事と心身の状態には何らかの関係があることがうかがえますが、ここでもやはり食事が原因でと考えるよりは、その背景にある生活や家庭、社会の状況とも深く結びついていることは忘れてはいけないと感じます。それだけ、食事というものは生活の真ん中を表すものなのかもしれません。

これまで10年以上、食に関する活動を続ける中で、「きちんとした食事」について触れるときには少し慎重になるようになりました。なぜなら、「ちゃんとしなきゃ」という気持ちこそが、人を台所や食卓から遠ざけてしまうことがあるのではないかと感じるからです。「ちゃんとした食事をしなければ」「毎日、栄養の整った食事を用意しなければ」と思えば思うほど、負担感が増えて楽しさが減っていき、食事を頭で考えるようになり、義務感を感じるようになる。加えて、ちゃんとできなかったときにはあたかも自分自身の努力が足りなかったかのように感じてしまう。そんなことがあるのではないかと思うのです。

命は口にしたものでできています。食事は心や身体に大きな力を持っています。だからこそ、誰もが温かな気持ちで食事と向き合い、食卓につくことができる。そんな環境をつくり、そんな社会をつくりたい思います。そのために必要なことは、豪華な食事から始めることでもなく、必ずしも「きちんとした」食事を用意することでもなく、目の前の食事に心をしっかりと向けられる安心感が鍵なのではないかと考えています。

食べる環境そのものを変える

私が食事と子どもの心の関係について考えるとき、真っ先に思い起こすのが、エディブル・スクールヤードのマーティン・ルーサー・キングJr.中学校での実践です。さまざまな人種の生徒が通い、荒れ果てていた学校の駐車場のアスファルトをはがして、そこを学校菜園に変える。みんなで野菜を育て、耕し、収穫し、料理する。そして、みんなで食べる。そんな授業を始めることで、子どもたちの学校への参加の様子や精神的な状態などに変化が生まれていったというストーリーです。

私がこの実践に惹かれるのは、「食べなさい」「栄養を考えなさい」と子どもたちに「教える」のではなく、想いのある人により場づくりの中で、大人も子どもも一緒になって、育てて、つくって、料理して、味わって…と共にすごすことで、自然と子どもたちが食べることや育てることに夢中になっていくというところです。その場にいる子どもたち(大人もですが)の目の輝きにはいつも感動します。

食べものを育て、自分たちの手で料理し、誰かと一緒に分かち合う。食を、教育や農、人とのつながりの中に置き、子どもたちをまんなかにして、気持ちを分かち合うこと。どんな子どもにも役割があり、評価をいったん横に置いて、一緒に過ごすこと。食べものを通じて、それぞれのルーツや文化、価値観を分かち合うこと。そんなことが、食事には可能なのだと思わせてくれるプログラムなのです。

子ども食堂という「場」

食べることの意味を考える中で、やはり気になるのは「6つのこ食」が増えていることです。孤食、個食、固食、粉食、小食、濃食。「こ食」を解決する具体的なアイデアの一つとして生まれてきたもののなかに「子ども食堂」の存在があります。本書が書かれた時点でも、子ども食堂は増え続けており、実際に現在も増え続けていることが紹介されています。

驚くのは日本だけでなく世界においても子ども食堂のような活動は古くから営まれてきているということです。19世紀のイギリスには、貧困や孤立を乗り越えるために、市民が主体となって食事を提供したり、人が集まる場をつくったりする活動があったそうです。日本でも明治時代に片山潜が神田にキングスレー館を設立し、地域住民に対して食事を提供するなどのセツルメント活動を行っていたそうです。

子どもの貧困対策として、地域の交流の場として、子どもたちの生きる力や自己肯定感を育む場として…。形は少しずつ違っていても、食事を囲みながら、人と人とのつながりを取り戻そうとする営みは、昔から繰り返し生まれてきたのだと改めて学ぶことができました。

「気づけばつながっている」

子ども食堂について考えると思い出すことは、以前新宿区で焼菓子を販売しながら地域で活動していたときのことです。開始当初は週に1度の3時間のみ営業するスタイルでしたが、地域の温かな見守りのおかげで最終的には週に5日の活動となりました。地域の役に立てるといいな、から始めた活動が、あの人が楽しみにしてくれているからと思えたり、お客様との会話の中で新たな商品が生まれたり…とひとつひとつ積み重ねていくうちに、自分では想像しなかった活動へと成長していった経験でした。人とのつながりは、一つひとつは小さくても、つながりあうことで、輪をかけるように大きくなっていき、とてつもなく大きなパワー生むことがあります。

事業を行う上で、持続可能な活動にするための営業計画や営業目標を立てることも、もちろん大切だと感じていますが、地場に根差し、温度感のある人と人のつながりの中でつくり上げるパワーは計り知れないものがあると学びました。小さな力がつながりあうことで生まれる魅力や財産を、私は忘れずにいたいと思っています。

そして、やはり食を囲んでつながりあう力は強い。「つながりましょう」と言ってつながるよりも、おいしさを共有したり、同じ釜の飯を食べたり、なんとなく自分の心と身体が満たされる時間を隣で一緒に過ごしたりするうちに、「気づけばつながっている」。そんなつながりは、静かだけれど、長い時間をかけて、簡単には切れることのない心のつながりを育てていくのではないかと思います。

個人の努力だけではなく

情報にあふれ、スピードも速い今の時代。食事をとることに費やす時間や、食事を用意することに大変さを感じている人は少なくありません。自分自身の食事でさえも大変さや負担を感じます。ましてや、大切な家族の食事までも担うと考えると、そのプレッシャーはとても大きいように感じます。

だからこそ、一人でも多くの人に、食事の時間に心と身体を落ち着ける体験や習慣を届けたい。でも、それは個人の努力に依存するだけのものではなく、時代の変化に伴った新しい仕組みや新しいあり方を模索するときが来ているのではないかと思います。食卓を真ん中としたコミュニティの形成。学校教育に食のあり方を取り入れるエディブル・スクールヤード。子ども食堂のように、地域の中に食を囲む場をつくること。農と食をつなぐこと。私がそうしたものに関心を持つのはそういう背景からです。

今回、本を読みながら考えたのは、心も体も満たす食事をとることを個人の努力だけの問題にしないためにはどうしたらいいのだろうかということでした。食べることは、一人ひとりの身体の中に入っていく、とても個人的なことでありながら、同時に、誰かが育て、誰かがつくり、誰かと一緒に食べる、とても社会的な営みでもあると再確認したのです。

事業としての視点や個人としての視点、様々な視点を行き来しながら、私自身も心も、身体も、そして人と人とのつながりも満たすような食活動を積み重ねていきたいと思いました。

参考文献

新村洋史『世界の学校・食育の歴史』績文堂出版、2024年

この記事の著者

ひかる  

2児の母。慶應義塾大学卒業後、企業勤務を経てレシピ開発・執筆に従事。生産者取材を通じ食の背景と体験の価値を探究。現在は東京都日野市で「おこめとおだしのある時間」を主宰。食べものを入口として、自然や人、地域とのつながりを探究する学びの場づくりをしている。

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