勉強手帖 vol.3|食育の歴史をたどる――人類史の中で「食」は社会と教育をどうつくってきたのか
人類史の中の「食」と食思想
引き続き、新村洋史さんの『世界の学校給食・食育の歴史』を読んでいます。今回は、人類の歴史の中で「食」がどのような意味を持ってきたのか、そして哲学者や教育者たちは「食」をどのように捉えてきたのか、というところを読みました。読み進めるほどに、食は単に「生きるために食べる」ためだけにあるのではなく、人間が人間らしい社会をつくるための根幹なのだと感じました。
人類はなぜ二足歩行を始めたのか
人類が二足歩行を始めた理由についてはさまざまな説があります。本書でも、食べ物を求めて二足歩行をするようになったという説や、樹上で生活していた人類にとって森林が減少してやむを得ず地上に進出したなど、いくつかの説が紹介されていました。
本書からは少しずれますが、このテーマについて私が以前から個人的に好きなのが、生命誌研究者の中村桂子さんが紹介している考え方です。人類は他の動物との競争において強かったから地上に降りたのではなく、むしろ「弱かったから」地上に降り、他の動物が残した食べ物などを拾って生きるようになった。そして、危険な場所でその場で食べるのではなく、自分の命と仲間の命を守るために食べ物を持ち帰るために立ち上がったと考える説です。
人類の二足歩行にはさまざまな説がありますが、人間らしさにつながる説が多いことや「食」に関する説がある点がとても興味深いと思いました。
200万年続いた「狩猟採集」
人類の長い歴史の中で、最も長く続いてきた食料の獲得方法は「狩猟採集」だったそうです。約1万年前に農耕と牧畜が始まるまで、人類は非常に長い期間狩猟と採集によって食料を得てきたのです。狩猟採集というと原始的なイメージを持ちますが、約200万年前にはすでに石器を使って動物を解体し、食料を分け合い、火も利用していたというから驚きます。火を使うことで食物を加熱し、消化にかかる負担を減らすことができるようになったことが、人間の脳の発達に寄与したという話もよく知られています。
そして約1万年前、農耕と牧畜が始まります。日本でも縄文時代には栗を植林したと考えられる痕跡が三内丸山遺跡から見つかり、その後土器を使ってコメを蒸して調理していたことなどもわかっています。弥生時代には稲作も広がり、「食べ物を探す」ことから「食べ物を生産する」ことへと大きく変化していきました。
食べ物をつくることが、社会をつくった
農耕が始まると、人々は一定の場所に定住するようになります。食料を生産し、収穫し、保存し、分けて食べる。定住と食料の生産・保存は人口の増加をもたらし、共同生活を発展させました。これはすごい変化だなと感じました。食べ物を周囲の環境に依存することなく自身の力で生み出すことで、生活が安定し、人口が増えていく。さらに共同生活を営み協働するようになったことは、コミュニケーションの必要性をうみ、言葉が生まれ、知識が生まれ、「学習」が生まれることにつながっていくのです。「食」のありかたが変化したことで人々の生活が変化し、食を基礎として社会生活がうまれた。「食べる」という原始的な行為は、長い時間をかけてヒトの世界に文化や教育、文明を生み出したのです。
哲学者たちも「食」を教育の場として考えていた
本書では、古代から近代までの哲学者や教育学者が、「食」をどのように捉えていたのかも紹介されています。例えばプラトンは、自らが創設したアカデメイアにおいて「共同食事」の場を設け、食事や酒を囲みながら哲学的な談義を行っていたそうです。また、アリストテレスもリュケイオンという学園を創設し、共同食事を行いました。彼は共同で食事をすることを民主主義の存続や発展を支えるものとして重視し、栄養や味覚の発達が知性や理性の発達にも関係すると論じていたそうです。「食べること」と「学ぶこと」が、こんなにも昔からつながりをもったものとして捉えられていたのかとても驚きました。
「食育」という考え方は昔からあった
さらに興味深かったのが、近代教育学の祖ともいわれるコメニウスや、ジャン=ジャック・ルソーについての記述です。コメニウスは、すでに現代の食育につながるような理念を持って教育活動を行っていました。ルソーも、子どもが身体と心を通して食物について学ぶことは、人間という存在そのものを理解することにつながると考えていたそうです。食物を生産することを通じて、社会や経済、政治についても学ぶことができる。つまり食を通じた活動からは、単なる健康教育ではなく、社会を理解するための教育を行うことができるという考え方が、こんなにも昔からあったことに興味を持ちました。
「幼稚園」は「子どもたちの菜園」だった
そして、今回一番ハッとしたのが、世界で初めて「幼稚園」をつくったフレーベルについての記述でした。「幼稚園」の語源がドイツ語の Kindergarten(キンダーガルテン)=子どもたちの菜園 だということを知り、エディブルスクールヤードとのつながりを感じずにはいられませんでした。
フレーベルは、子どもたちが好きな花や野菜を植える菜園を用意したり、パン屋さんを見学したり、お菓子をつくったりと、食に関わる体験を大切にしていたそうです。本書には、フレーベルの考えとして次のような言葉が紹介されています。
「食事には『共同生活』や『協働すること』が不可欠であり、それによって子どもの社会性や社会的創造性を身につけていく土台が用意されるのである」
人間的な知性や理性や社会性が発達する土台作りに食事という営みは必要不可欠であり、文化や教育の中心的な存在であるとして捉えていた教育者がいたことは、とても心強いことのように思いました。
食のあり方が、人間の未来をつくる
本書には、このほかにも歴史上のさまざまな思想家や教育者が考えてきた「食」の教育的な価値が紹介されています。人類は、「食べる」という行為を生命維持のためだけのものにはせず、長い時間をかけて社会・文化・教育へと発展させていきました。そう考えると、現代の私たちが「食をどう捉えるか」によって、この先の社会のあり方も変わっていくともいえるかもしれません。
「何を食べるか」によって、自分の身体や心のあり方が変化していくだけでなく、誰と食べるのか。誰がつくるのか。どこでつくるのか。どうやってつくるのか。食を通じて何を選ぶのかは、未来を変えることにつながっていくのだと思います。食は、命を知ることでもあり、人を知ることでもあり、社会を知ることでもある。これからの社会をどんな社会にしたいのかを「食」を考えることから始められるのかもしれないと考えるようになりました。
参考文献
新村洋史『世界の学校・食育の歴史』績文堂出版、2024年
